この日(平成27年7月18日)、私は近鉄全線に乗ることができる3日間有効の自由乗車券を持っていました。特に予定のない土曜日だったので、まずは当てもなく近鉄電車に乗ってしまいました。車内でさてどこへ行こうかと考えて、すぐに頭に浮かんだのが長谷寺でした。長谷寺なら大阪線の途中駅ですから行くのは簡単です。冷房がほどよく効いた急行電車で安楽に移動し、何の障りも無く長谷寺駅に降り立ちました。駅舎の外にはすっきりとした青空と濃い山の緑が広がっています。7月半ばで日差しは強いものの、人為的な冷房とは違う自然の爽快さに迎えられた感じでした。
駅から下り坂の道を歩き始めると、通りの両側に幟がいくつも立っているのが目にとまりました。それで今日が月に一度の観音様の縁日であることに気づきました。導かれたと思いたくなる状況でした。
桜や牡丹の季節の長谷寺は混雑するようですが、7月は遅い紫陽花が残っているくらいだからか、縁日にしてはすいていました。おかげで落ち着いて観音様と向き合うことができました。
お参りの後本堂の舞台から緑あふれる景色を眺めていたら、招かれた感覚があらためて湧き上がり、何か「証し」が欲しくなりました。本堂からすぐのところに納経所が見えます。それまで私は御朱印集めをやや冷めた目で見ていましたが、このご縁を大切にしたいという気持ちが勝ってきました。新しい納経帳もここで手に入ることがわかったので早速購入し、人生で最初の御朱印をいただいてきました。
自分で策を練ってもうまくいかないことが多いのですが、この日は流れるようにすべてが進んでいったという印象でした。
で、有り難みいっぱいの長谷寺参拝を終えて駅へ戻る途中、この橋を見つけたのです。今の近鉄大阪線が戦前に参宮急行電鉄(略して参急)という名の私鉄だったことは知っていましたが、企業合併でとうの昔に消えた会社名が略称とはいえ残っているなど思いも寄りませんでした。
長谷寺の門前町から見ると、参宮急行電鉄の長谷寺駅は初瀬川を渡った向かいの山の中腹に位置します。参急の駅に向かう橋だから参急橋という単純な命名なのでしょうけれど、戦前の伊勢参宮は国家的重大事だったらしいので、参急の開通はより注目度が高かったのかもしれません。
今も残る参急橋は公道の橋なので、一応は公的な存在です。そこに消えてしまった名称がさりげなく残っているというのは大変興味深いことです。
長谷寺に行って「参急橋」を見つけて以来、地図を見るときに気をつけていたら、阪急京都本線相川駅の西側に「新京阪橋」という道路橋があるのを知りました。こちらも新京阪鉄道の駅に至る橋を意味する命名と思われ、鉄道会社の旧称が残っている貴重な橋です。観光客に媚びるかのごとく名物や偉人の名前を空港などに付けるのは下品に感じますが、こういう実用的な命名で歴史が感じられるものは大好きです。近いうちに是非訪れたいと思っています。
(写真帖14 終わり)
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