観林庵写真帖 13 
令和3(2021)年8月28日作成  令和6年10月28日最終更新
 

智積院大書院前の手水鉢
京都市東山区 平成21(2009)年8月9日

 智積院の庭園は大書院の前にあります。春や秋の土日は多少混雑しますが、真夏の京都は敬遠されるようで、お盆前に訪れたときは落ち着いて庭を眺めることができました。幸いにそれほど暑い日ではありませんでした。
 大書院の濡れ縁のそばでは、下方がすぼまった細長い舟の形の手水鉢が静かに存在を主張しています。舟形手水鉢と称すべきかと思いますが、一文字型としているサイトもあるようです。分類名はともかく、視野を引き締める好位置にあることから多くの方が写真に収めています。私も手水鉢が気になるクチなので、軽薄かと思いつつも撮影してきました

 緑が美しい築山は多くの漢詩や山水画の題材となった名所・廬山(ろざん)を模したもの、また手前の池は長江に見立てているとのことです。こう書くと「日本の文化は中華の亜流」と卑屈な論評をする御仁が出てきそうですが、受け流しましょう。現在の廬山地域を治めている国が唐や明の文化を継いでいると見なしてよいか、私はかねてより疑問に思っています。知人の一人は、亜流どころか日本の方が文化継承者を名乗るに相応しいとさえ言っています。

 彼の地で文化の大革命とやらが唱えられた頃、廬山も文墨廃れて山河在りの状態だったのではないでしょうか。過去は否定しても自然景観は素晴らしいので、権力を握った者の別荘地として重宝されたようです。伝統文化を破壊した勢力の足跡も今や文化遺産の一部だという歴史の重層性には感心します。
 日本でも武家勢力による戦乱や廃仏毀釈などの嵐が吹き荒れたことはありますが、何とかやり過ごしました。日本は基本的に大陸から伝わった文化を生かし、文物を大切に伝えています。京都東山の智積院にある築山と池は、江戸時代前期の模造とはいえ古人(いにしえびと)の美意識が息づいた「廬山」と「長江」です。引き継がれてきた精神性を今も味わうことができるのは、誠にありがたいことです。そして、そんな景観の中にある手水鉢になぜか惹かれるのですよ。

(写真帖13 終わり)

前へ
[観林庵日記巻頭]
次へ