あんみつ坊主の愚言録 第5巻
令和3年(仏暦2564、皇紀2681、基督暦2021)12月2日最終更新

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愚言

令和3年12月2日  安倍元首相の台湾に関する発言に対し、中国外務省の汪副報道局長が「中国人民のボトムラインに挑戦すれば、必ず頭を割られて血を流すだろう」と警告したとのこと。何とも野卑かつ血なまぐさい「警告」で、強大な軍事力を背景にしているだけに日本の暴力団なんかより遙かにたちが悪いと感じる。
 かような恫喝をしてくる国の核保有や国連常任理事国の地位がなぜ問題にならないのか理解に苦しむのは私だけだろか。
(12月1日配信の時事通信ニュース『中国、安倍氏の台湾発言に抗議』を読んで)
令和3年9月7日
(令和3年9月8日一部表現修正)
 日本放送協会(NHK)の最近の日本語軽視姿勢が不愉快でならない。大手自動車会社の幹部が「電動車」と説明しているものを「EV」と言ったり、「○○医院」を「このクリニックでは」などと表現するなど、ちょっと酷いではないか。
 少し前の事例になるが、国産の旅客機開発に関する番組で「パイロットとエンジニアの話し合い(注:「打合せ」など他の言葉だった可能性もあり)」というような表現があった。船なら「水先案内人と機関員」の意味にもとれる。航空の世界であっても、大型ジェット旅客機が登場した頃なら「操縦士と航空機関士」かもしれない。前の部分から視聴していれば新型航空機の話とわかるが、報道番組では前後を視聴しないと意味が特定しづらい表現は避けるべきでないか。ここは日本語で「操縦士と技術者の・・・」と言った方が誤解が少ないはずである。
 ともかく、外来語、外国語の濫用はほどほどにしていただきたい。EテレだとかBSプレミアムだとかいう呼称も合わせて、チコちゃんに思い切り叱ってほしいものだ。このままでは受信料支払い拒絶運動をしようかと考えたくなる。
令和3年8月24日  「ムーミン」の著作権を管理するフィンランドの会社が、化粧品会社DHCとの提携を中止すると発表しました。その理由はDHCが自社のウェブページで朝鮮半島出身者に対して差別的な内容の文章を掲載したためとのことで、ムーミンの管理会社は「いかなる差別も容認しません」と表明しています。
 最近この手の話題はよく出ますね。差別はいけません。是非とも差別無く同様に、日本の領土である竹島を不法占拠し続け、また二国間条約を無視して日本企業の資産を差し押さえるような不当な国、日本と友好的な関係を維持しようとする一部国民を周囲がいじめ倒す差別的な国とは取引しないようにしていただきたいものです。ねえ、ムーミン!
(8月24日配信のYahooニュース[ムーミン、DHCとのコラボ中止へ]を読んで)
令和3年8月19日  「マイクロアグレッション」なる言葉を今日知った。「小さな(マイクロ)攻撃性(アグレッション)」だそうで、相手を差別したり傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうことを指すらしい。先入観や固定観念により相手を不快にさせたり差別的・攻撃的な発言をするのは良くないことだろう。しかし無意識に発する「失言」「うっかり差別」まで控えろという要求は平均的な人間の能力を超えているように感じる。私だってこれまで何度も「小さな無意識差別発言」をしている。自分では悪意は無く、むしろ相手を持ち上げようとした場合も多い。あまり些細なことまで問題視すると、無意識の失言者を攻撃する逆差別になるのではないか。問題は差別を生み出す社会構造にある。注視したい。
 ちなみに、本件を説明するサイトには「社会をもっとよくする世界のアイデアマガジン」と副題が付いているが、日本語ページなのに項目名が「NEWS」「ART」「DESIGN」・・・とすべて英語ラテン文字表記だ。「UPCOMING EVENTS」「CONNECT WITH US」なんてのもある。これ、日本語話者に対する差別だよ。
(『IDEAS FOR GOOD』中に掲載の「マイクロアグレッションとは・意味」頁を読んで)
令和3年8月3日  政府が新型コロナ患者の入院に対する新たな方針を提示した。中等症の患者は入院できなくなる可能性があるらしい。中等症は言葉の印象よりもずっと重い症状だから油断するなとテレビ番組で聴いたばかりだ。肺炎で呼吸困難な状態が中等症だそうだから、それで入院できず自宅療養なんてまさしく医療体制の破綻である。東京都には7月12日から緊急事態宣言が出されているのに感染者が急増している。今感染を抑えるために緊急事態宣言より強い制限をかける以外の手段があるのだろうか。行動抑制や在宅医療の支援体制整備なしに感染者への負担ばかりを高める今回の新方針は、敗色濃厚な状況で弱者に犠牲を強いる戦時非常態勢のようだ。「絶望」という言葉がちらつく。
(8月2日配信の読売新聞オンライン[入院対象は重症者らに限定、自宅療養が基本に…感染者急増地域]を読んで)
令和3年7月22日  確かにナチスによるユダヤ人大量虐殺を笑いのネタにするのは配慮を欠いた行為と言えよう。だが、ハーグ陸戦条約違反が明白な東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下を大真面目に肯定する方がはるかに悪質ではないのか。さらにいえば、過去の話では無く現在進行形でどこかの国の政府と対立する人々がどこかの国の軍隊によって生命を脅かされている方がもっと問題ではないか。このように私が考えるもっと酷い世界の悪行と比べれば、20年以上前の若い頃の失言(これ自体は犯罪でも何でも無い)を理由に小林氏を解任するのは過剰反応と感じる。
 声の大きな者の意見だけが通り、もの言えぬ人々の苦痛がないがしろにされる現状を思うと、国際五輪大会など見る気にならない。
(7月22日配信のNHKニュースWEB版[開閉会式担当 小林賢太郎氏解任 ユダヤ系団体 過去コント非難]を読んで)
令和3年7月19日
(令和3年7月20日一部表現修正)
 刑を終えて出所した人(元・犯罪者)に対する差別をなくしましょうと法務省が発信している。若い頃えげつない同級生いじめをしたという音楽家は、有罪判決を受けて懲役刑なり罰金刑なりを終えていたら五輪開会式作曲担当を辞任する必要は無かったのかもしれない。「前科者」を晴れがましい国際大会で使うべきでない、として排除するのは差別である。刑法犯にもならない学生時代のいじめの罪はどう償ったらよいのだろうか。反省の態度が見られないと決めつければ永遠に悪者扱いできるのか。罪を償う機会を与えずに各方面から非難の言葉を浴びせ続けることだって私には「いじめ」に見える。しかも今回は政府まで排除の世論を後押ししている。社会的制裁というやつは法律で禁じられている「私刑」よりも危険だと思う。
 なお、彼が音楽家として優れているかどうか私は知らないので、そこは別の公正かつ適切な論評に期待する。
(7月19日配信のよろず〜ニュース[政府が小山田圭吾のいじめ問題を「まったく許されない」と非難 組織委に「適切に対応を」と厳命]を読んで)
令和3年7月10日  御朱印集めが流行って寺社にご縁ができるのは良いことですが、寺社を巡る番組などでやたらと御利益を気にするのは浅ましく見えます。神仏がそこにおわすこと、そして祈る場所があることが最大の御利益だと私は考えています。祈りによって心が浄化できれば十分ではないですか。たまには損得を忘れ、神仏に近づくことができた喜びをかみしめながら祈ることをおすすめします。
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