国鉄バス資料室
208 陸中海岸線・安家線
平成14(2002)年8月25日開設、令和3(2021)年6月13日最終更新
 陸中海岸線は、その名の通り岩手県の北部陸中海岸沿いの地域を走っていた路線である。リアス式海岸の入り組んだ地形に阻まれ往来の容易でない地域であることから、開業は比較的遅く、久慈から陸中野田・普代・陸中黒崎とたどる路線が平井賀経由で岩泉とつながったのは昭和38年のことであった。小さな集落を結んで起伏の激しい細道を走るバスは、小荷物輸送も行う生活路線であった。陸中海岸国立公園内でも指折りの景勝地・北山崎展望台へ運ぶ観光の足としても利用され、国内旅行が盛んになった昭和50年頃には十和田湖(休屋)から北山崎まで直通する「十和田陸中号」なども運転された。年ごとに整備が進んで所要時間の短縮が図られた国道45号線経由の路線は、支線の普代線として扱われ、道路の格付けと逆転していた。
 三陸鉄道北リアス線が開業した昭和59年以降は、小本、田野畑、普代の各駅で列車と接続する輸送形態に比重を移し共存共栄を目指したものの、国鉄民営化後は大幅な路線縮小を経て、全線廃止された。
 安家(あっか)線は、久慈から堀、安家を経由して岩泉を結んでいた路線で、陸中海岸線よりも早い昭和28年に開業した。永く安家での双方折り返し運転が続いたが、昭和50年頃には久慈側が途中の山根までの運転となって、2本の盲腸線に分離された形で国鉄民営化を迎えた。


岩泉からのバスが到着
531-5906
北山崎展望台 S57.7.23


小本発岩泉営業所前行
337-5002 日野RL320
小本 S61.7.28

 
リアス観光号の案内チラシ
昭和61年夏

黒崎燈台駅スタンプ
 
1.路線概要
 

◆ 昭和59(1984)年10月19日当時の路線(国鉄自動車線普通旅客運賃表S59.10.19公報通報版)

陸中海岸線
(陸中海岸本線)
久慈−長内橋−陸中野田駅前(#)−南浜−普代駅前(#)−太田名部−黒崎前浜−黒崎入口−陸中黒崎−南黒崎−北山崎入口−北山浜−机浜−弁天崎−明戸口−平井賀−島ノ越港−島ノ越口−岩手中野−小本−真崎入口−田老中町−田老間 (86.8km)
・長内橋−久慈商業高校前間 (1.9km)
陸中野田駅前(#)−南浜間 (1.0km) 
陸中野田駅前(#)−久喜浜間 (3.6km) 
・黒崎入口−黒崎小学校前−南黒崎間 (2.3km)
・黒崎入口−黒崎燈台間 (1.0km)
・北山崎入口−北山崎展望台間 (0.8km)
・北山崎入口−机−机浜間 (6.7km)
・真崎入口−真崎間 (3.0km)
・田老中町−山王閣前−真崎間 (4.6km)
(久慈海岸線)
・長内橋−玉ノ脇−小袖間 (8.5km)
(普代線)
普代駅前(#)−陸中一ノ渡−田野畑間 (18.0km)
(田野畑線)
・平井賀−田野畑−島ノ越口間 (11.1km)

安家線
(安家本線)
久慈−堀−山根−安家−夏節口−竜泉洞前−沢廻間 (55.8km)
・堀−陸中白山間 (1.3km)
(日蔭線)
久慈−日吉町−堀間 (5.3km)
(三沢線)
・夏節口−陸中一ノ渡間 (15.9km)

下線=鉄道線接続駅
(#)=旅客営業規則第17条「自動車線駅と鉄道駅との特殊取扱」で最寄りの鉄道駅と同一駅の取扱をする駅

○ 途中下車指定駅 : (陸中海岸本線)大田名部、黒崎前浜、北山崎入口、北山浜、机浜、弁天崎、明戸口、平井賀、島ノ越港、小本、黒埼燈台、北山崎展望台、(安家本線)竜泉洞前

◆ 国鉄時代(昭和55年10月末)の関係現業機関 : 岩泉自動車営業所、久慈自動車営業所 (いずれも東北地方自動車部)


2.略史
(準備中)
 
3.関連資料
(準備中)
 
4.乗車記等
[1] 最新旅行ガイド2『東北』、日本交通公社(S53)
 紀行文の体裁で綴られた旅行ガイドに陸中海岸線を描いた部分がある。バスに関する情報は鉄道に比べ乏しいので、これも貴重な記録である。
−−−−−−< 引用 >−−−−−−
 「小本駅」に着く。鉄道でもないのに駅というのはおかしいが、実際に駅舎がそこにはあるのだ。待合室もあり、売店もあり、おまけに駅長室まであり、「みだりに駅長室に入らぬよう」という看板まで出ているから思わず笑ってしまう。バスには停留所しかないと思っていた認識を改めねばならなかった。 (p.173)
−−−−−< 引用終わり >−−−−−
[2] 旅日記【 国鉄バス「陸中海岸線」】: 『旅と鉄道』No.54('85冬の号)
 巻末にある「話題のコンパートメント」覧に読者から寄せられた「旅日記」として、岩泉地区の国鉄バス乗車記が掲載されている。龍泉洞を訪れた著者・石動泰弘氏が、岩泉から夏節、陸中一ノ渡、陸中十文字、平井賀とたどる国鉄バスで三陸鉄道田野畑駅まで乗車したときの模様を短くまとめた文章である。
 龍泉洞前を通過して「右に入る」地点から陸中一ノ渡までの狭い道は安家本線の支線・三沢線である。途中の夏節から先は「この便のみ」とのことだが、岩泉の町中から三沢まで数人の客が乗ったことが興味深い。陸中一ノ渡を過ぎると普代線、田野畑線を経由して平井賀から陸中海岸本線に入る経路を進み、著者は田野畑駅で下車する。途中で乗った田野畑高校の生徒はさらに先まで帰るようで、机経由(こちらも1日1往復のはず)の古いツーマンバスに頼る高校生の通学事情が気になる乗車記だ。
 なお、掲載誌が発行された昭和60年当時の陸中海岸本線は小本から島ノ越口、島ノ越港、平井賀を通って北山崎方面へ至る経路だが、昭和47年以前はこの便が走った夏節経由の細道が陸中海岸本線であった。標題は過去の路線名を意識したものか。


 
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