ある日、職場で試料の観察に立ち会っていたとき、オムロン株式会社が話題になりました。一般の方はオムロンと聞けば体温計や血圧計を思い浮かべるでしょうが、私たち技術屋の世界では検出器、制御器など自動化機器を製造する主力企業としての方が有名です。そのときも、実験装置に付いている継電器(リレー)か何かの話だったような気がします。
一緒に立ち会っていた1年後輩のH君は、会話を脇道に引き込む天才です。技術の領域で雑談が始まったのに、「御室仁和寺(おむろにんなじ)の近くにあったからオムロンなんやで」と言い出しました。金属顕微鏡を操作していた新人のT君は、顔を上げてきょとんとしています。
「ぼくらが学生の頃は立石電機と言ったはず。」
「いつからオムロンになったんすかねえ?」
「昔から製品には全部オムロンと書いてあったよ。」
そんなことをH君と私でやりあっていても、若いT君はついて来られません。
「あ、御室を知らんか」と、H君は強引にT君を巻き込もうとします。「古典の授業で出てきたやん。仁和寺の何とか。憶えてへん?」
実験室でいきなり「古典」と言われて、T君は戸惑いの表情を浮かべるばかりです。
仁和寺は京都市右京区にある真言宗の大寺院で、寺内の一室に宇多天皇が住まわれたことから、「御室」が代名詞や接頭語のように使われています。
しかし、さすがは元文学青年のH君です。くだらないことをよく知っています。機械工学科卒というのはウソだろ、と突っ込みたくなります。
彼が言いたかったのは、徒然草の中に収められている仏教僧(法師)の失態を主題にした説話のようです。細切れの知識が偶然引っかかって私にも答えが見えてきたので、すかさず参戦しました。H君のことをとやかく言える筋合いではありません。
「『仁和寺の僧、石清水へ詣でける』みたいな話だよね。」
H君は自分が主導した会話が進展したので、ますます調子に乗ってきます。
「そうそう。さすが、よう知ってますねぇ。」
H君は私をおだてた後、自慢げに言いました。
「それって、『この木なからましかばと覚えしか』で終わりますよね。」
あれ?そんな文末だったかな?なんとなく違うように感じましたが、反論できませんでした。
「そうだったっけ・・・」
私が言葉を継げずに腕組みしていたら、雑談はそのまま収束しました。
帰宅後、文庫版『徒然草』で調べたところ、H君が最後に言い出した一節「この木なからましかばと覚えしか」は、やはり「仁和寺にある法師」の段(第52段)ではなく、仁和寺と無関係の「神無月のころ」で始まる第11段の文末でした。
徒然草の第52段は、上述のように仁和寺の僧が勘違いで恥をかいた話です。かねがね参拝したいと思っていた石清水八幡宮(現・京都府八幡市)に出かけたものの、誰にも案内を請わずにひとりで行動したため、山の麓にある極楽寺、良神社など、石清水八幡宮付属の社寺(当時は神仏習合が一般的で、八幡宮に付属する仏教寺院もあった)を有り難がって参拝しただけで帰ってきたという、落語のネタのような笑い話になっています。肝腎の八幡宮本殿は山の上にあるのですが、「みんなが山へ登っていったのは何故だろうね。気になったけど、神様へのお参りが本命なので、山は無視して帰ってきたよ。」と知人に伝えて、おそらく「あほか、おまえは!」とからかわれたことでしょう。
この話、教科書的には、教訓の題材として一僧侶の失態を引き合いに出しただけ、と説明されるはずです。しかし、徒然草における僧侶ネタの扱いには一定の傾向があるように思えてなりません。
第52段に続く第53段、第54段も仁和寺の僧を茶化した話ですし、第63段は国家安寧を祈祷する真言院の高僧が盗人に襲われるのを怖れて護衛の武士を付けるという内容で、「本当に祈祷は効くの?」と言わんばかりです。仁和寺と真言院は共に真言宗寺院です。一方、第39段の「或人、法然上人に」(浄土宗)や、第205段「比叡山に、大師勧請の」(天台宗)などは淡々と、どちらかと言えば敬意をもって書かれています。どうも兼好法師は真言系の寺院・僧侶を良く思っていなかった節が感じられます。
私の見立てが正しいかどうかはともかく、こういう裏読みも面白いものです。
せっかくなので、第52段を記しておきます。
第五十二段
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺、良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
(出典: 旺文社文庫『徒然草』、S46、94頁) |
雑談の数日後に関連部分を複写してH君に渡し、「この間の徒然草の話だけど、君が言ったのは別の段の終わり部分だったよ」と伝えました。彼は自分の間違いをさらりとかわした上で、「ぼくら、レベル高い会話をしてますよね」と嬉しそうに誤魔化しました。その応答、見事だよ、H君!
ただ、間違っていたとはいえ、彼が第11段の一節を思い出したことには感心させられます。彼はきっと良い先達(先生)の薫陶を受けたのでしょう。
※概ね事実に基づいていますが、一部脚色しています。
(蒙昧録1-3 終わり)
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