スイスで急行列車に乗ったとき、スイス国鉄の車両に略称が3つ並べて書いてあるのが気になりました。他の欧州諸国の鉄道車両にも鉄道事業者の略称が車体のどこかに表示されていますが、例えばドイツなら「DB」、フランスなら「SNCF」、デンマークなら「DSB」などと基本的には2文字から4文字程度の略称が一つ書いてあるだけです。スイスの表記は3文字ずつの略称が「SBB
CFF FFS」と3つで合計9文字になり、ちょっとくどい印象すら与えます。なぜこんな表記をするのでしょう。
その理由は、スイス国内の言語事情にあります。国語(公用語)が複数あるからです。スイスは九州くらいの大きさの国ですが、国内がドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏に分かれています(※)。そしてそれら3つの言語を連邦公用語として対等に扱うと定めています。SBBはドイツ語でSchweizerische
Bundesbahnenの略称、CFFはフランス語でChemins
de fer fédéraux
suissesの略称、FFSはイタリア語でFerrovie
Federali
Svizzereの略称です。いずれも「スイス連邦鉄道」を表します。表記の順番は国内話者人口の多い順(ドイツ語>フランス語>イタリア語)で、隣接する国の影響力などは関係ありません。
鉄道だけでなく、スイス国内で売られている商品の説明書きなども3言語が併記してあります。でも3つの言語表記を書ききれない状況もあります。たとえば郵便切手はどうするか。その場合、現代では使われない古い言語であるラテン語で「HELVETIA」と書いて、特定の言語話者に有利・不利が生じないようにしているそうです。スイスでの国語に対する配慮には実に感心させられます。
日本で新幹線や山手線の車体に「JR」と書いてあるのを見て、欧州の国と同じだと思う人がいるかもしれません。でも根本的に違うのです。「JR」は英語由来であって国語ではないし、しかも「JR」は組織名の略称ではありません。「Japanese
Railways」「日本鉄道」というような会社は(現代には)存在しないのです。国の公共企業体であった日本国有鉄道(Japanese National
Railways)は、昭和62年の民営化と同時に分割されました。今はそれら元国鉄の会社をひっくるめて言うときに「JRグループ」という言葉を使っていますが、グループは緩いつながりで法人格などはなく、だからなのか日本語名が無くていきなりJとRが登場しているのです。私はスイス国鉄の略称表記の件を知って以来JR略称問題がずっと心に引っかかっています。
少なくとも日本の新幹線は高速旅客鉄道の有効性を世界に示した先駆者だし、運行本数の圧倒的多さや定時性、安全性などで今も高速鉄道界の最先端を走るのに、何でその誇らしい新幹線の事業者名表記に母国語を持ってこないのでしょう。スイスだけでなく、例として紹介したドイツもフランスもデンマークも、そして他の先進国の鉄道も自国の言語による略称です。残念でなりません。
※ スイス南東部のグラウビュンデン州には少数ながらロマンシュ語を話す地域もあり、州の公用語の一つになっています。
(写真帖20 終わり)
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