あの世とこの世の間には三途の川が流れていると昔から言い伝えられています。あの世に行く人は渡し船に乗ることになり、渡し賃として六文銭が必要だそうです。どのような船が使われているか乗り物好きには気になるところですが、三途の川を渡って帰ってきた人がいないので正確なことはわかりません。おそらく船頭さんが一人で操るこのような木造の和船がかなり近い姿なのではないかと思われます。
平成の世にこんな原始的とも言える渡し船が実際に見られたのは、岐阜市の西部を流れる長良川です。岐阜市の鏡島地区と一日市場地区の間には橋がなく、岐阜市が管理する渡し船「小紅渡船」が今も公道の役割をしています。現在は動力付きの船に替わったようですが、私が平成7年に訪れたときは竹竿と櫓を使って人力で船を動かしていました。
川の南側の鏡島地区には厄除け弘法大師として親しまれている乙津寺(おっしんじ)があり、縁日などには渡船の利用者も多いようです。乙津寺の縁起に依れば、この地は元々孤島であったらしく、天平時代に名僧の行基が船でやって来て十一面千手観音像を彫り草庵に安置したのが寺の始まりとのことです。その後、弘仁4年(813年)に訪れた弘法大師空海も船で着いたとされています。小紅渡船は千年以上前の事跡を受け継ぐかのように今も乙津寺へ詣でる人を運んでいるわけで、尊さを感じます。
河川にしろ入り江にしろ橋ができてしまえば渡船は廃止されるのが一般的です。利用する側からすれば橋の方がいいに決まっています。小紅渡船もいつ無くなるかわかりません。そんなはかなさを感じさせる存在でもあるのが渡船の魅力でしょう。
長良川と言えば鵜飼い船の方がずっと有名で、文化的な要素も漂うので一定の評価はしますが、私はさほど乗りたいと思わないのです。やはり地元の人々の生活用として維持されている渡船が好きです。
(写真帖16 終わり)
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