観林庵写真帖 7 
令和元(2019)年11月1日作成  令和4年5月15日最終更新
 

右書きの「蝙蝠印」
奈良県桜井市  平成30(2018)年4月1日

 写真帖5の聖林寺へ詣でた帰り、桜井市の町中に古色燦然たる看板が掲げられているのをみつけました。いつ頃のものか判別は難しいですが、揮発油は自動車用ガソリンでしょうから、国産自動車が造られ始めた昭和10年前後ではないかと推測します。
 書体は右書きで、中央の製品名部分だけ縦書きになっています。全て漢字で表記され、「國」「發」「燈」「賣」などが旧字体です。古い石碑か漢書に通じるものがあります。漢字文化圏の秩序美といったところでしょう。

 日本は日清戦争に続いて日華事変、大東亜戦争と支那(清国、中華民国)との交戦状態になり、その過程で日本人居留民が虐殺されるような事件も起きていますが、それでも英語を敵性言語としたのとは違って、唐風文物排斥などなされていません。漢字を共用する台湾は国内でしたし、満州は友邦でした。漢語を使うのはむしろ知的階層の自慢みたいな風潮が有って、尊重こそすれ、蔑んだり排斥したりすることはなかったはずです。

 蝙蝠印と説明の付いた最上段中央の紋は、「日本」の文字をコウモリの形に意匠化した旧・日本石油株式会社の社章です。昭和から平成に替わる頃までは国内のあちらこちらで目にした図柄ですが、JXTGグループのウェブサイトによると「三菱石油と合併するまで」と記されているので、平成11(1999)年まで使われたようです。蝙蝠印というのは俗称かと思っていたら、昔は自社看板に明示していたのですね。

 戦後、日本石油の看板はCALTEXの赤い星に右から圧迫されるような図柄になりました。出光興産を「民族系」と記した文献を見て、日本石油は日本の石油会社じゃないんかい、と疑問に思ったことを覚えています。今はいくつも合併して、ますます判らなくなっています。ケチを付けるようで済みませんが、「JXTGグループ」って日本語で表現できないということでしょうか?

(写真帖7 終わり)

 
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