観林庵写真帖 6 
令和元(2019)年10月24日作成  令和4年5月15日最終更新
 

スピード感は必要?
京都市内  平成28(2016)年10月9日

 以前、友人たちと自動車に乗って出かけたときの話です。助手席のCさんが速度計を覗き、「え、もう60キロも出てるの?このクルマ、スピード感無いなあ。」とつぶやきました。彼が乗る軽自動車が同じくらいの加速をするには、豪快にエンジンを吹かさないといけないようです。すると後席に座る機械技術者のMさんが言いました。「スピード感がないのは良いクルマの証拠だよ。」

 確かにMさんの仰るとおりかと思います。乗ったことは無いのですが、アウトバーンを200km/hで走る性能を持つドイツの高級乗用車なら60km/hなんて蠅が止まりそうな(古い表現!)感覚では、と想像してしまいます。
 鉄道であれば私も体験済みです。新幹線が大きな駅に近づいて減速するとずいぶん遅くなったように思いますが、実際には100km/hくらいで走っていたりします。地方路線の電車が貧弱な軌道を80km/h前後で走っている方がよほどスピード感があるはずです。人間の感覚とはそんなものでしょう。

 ところで、世の中の偉い方々がよく「スピード感をもって実行します」などと発言なさいますね。聞いている皆さんは違和感なく受け流しているのでしょうか。私は気になって仕方がありませんでした。軽薄な流行り言葉みたいに聞こえるし、スピード感と実際に速い(早い)ことの違いがわかってるのかな、という疑念が湧くからです。「『すみやかに』でいいじゃん!」とか一人で茶々を入れたりしました。

 けれど、最近になって違う見方をするようになりました。「スピード感をもって」はある意味正直な心情の発露なのかもしれない、と気付いたのです。
 責任有る立場の人にとって、素早く対処しているように見せる・感じさせることが重要なのでしょう。もちろん実際に素早く結果を出す方が望ましいのですが、もしかしたら何らかの障害で時間がかかってしまうかもしれません。そのときでも迅速に着手してスピード感だけ醸し出してさえいれば約束を破ったと責められずに済むのかなと思うのです。つまり、「善処します」とか「鋭意努力いたします」のごとく、発言側にとって安心感のある言葉ということです。

 逃げ口上に近かったりするなら、仮に言葉尻を捉えて形ばかりの追求をしたところで、本質的改善に向かう保証はありません。必要な体制が整っていないにもかかわらず上が一方的に期限を決めるなど、実行部隊を速く早くと追い詰めたりしないでしょうか。近頃そのように疑われる事例が多くないかと気になります。頑張ることは大切だと思いますが、無理をさせれば必ずどこかに歪みが来ます。

 新幹線がエラいのは、当たり前かもしれませんが、着実に進歩しながらも無理のない範囲で高速運転をしていることです。堅固な施設、高性能な車両、訓練された職員、優れた管理体制などが揃っての高速運転です。半世紀を超える運行実績は伊達ではないでしょう。

 体制を整えることが無理な組織に対しては、速やかな実行ができなくてもあまり非難せず、「スピード感」の言葉だけで許してあげるのが良いかと考える次第です。

 余談ですが、私は京阪電車くらいのスピード感が好きです。

(写真帖6 終わり)


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