近鉄の桜井駅から30分ばかり歩いたでしょうか。目指す聖林寺は山裾の小高い所にありました。石段を登ると、門の脇から大和盆地の景色が望めます。少し霞んでいるうえに、手前に咲く満開の桜が眩しいので、街並みの近代性がほどよくとろけているような印象です。
門前には「大界外相」と刻まれた石の柱が立っています。これは結界石で、仏道修行の障害となるものを排する境界を示しているのだそうです。けれど、聖林寺の結界石はおおらかな書体で刻まれ、排他的な意思は感じられません。改心するならばどんな悪い存在でも仏弟子にしてもらえそうです。
やわらかな日差しのもと、桜をはじめ春の花々が咲き誇り、お寺の周りは美に包まれています。御仏の功徳で、周囲まで荘厳されているかのようです。
門からは導かれるように本堂に入り、ご本尊の地蔵菩薩様にご挨拶した後、さらに少し登った位置に建つお堂で高名な十一面観音菩薩様を拝ませていただきました。まことに麗しいお姿で、心が満たされました。
聖林寺の十一面観音菩薩立像は、元々大神(おおみわ)神社と一体であった大御輪寺の本尊として祀られていたそうです。明治の初め、新政府が遂行した神仏分離・廃仏毀釈で大神神社は神道施設として純化され、併存していた寺院は取り壊されてしまったことから、以後聖林寺に移されたと伝えられています。
こういう話は往々にして当たり障りのないように書かれますが、実際には宗教紛争あるいは宗教弾圧と言うべき混乱があったのだろうと推察します。大神神社がどうだったかは不明ながら、他の地区では打ち壊され廃棄された仏像・仏画も少なくないようです。今は人気の興福寺・阿修羅像だって床にうち捨てられていたのです。お寺をぶっ潰すなんて尋常ではありません。十一面観音菩薩様が廃仏の暴挙から逃げ延びて、この聖林寺に収められ、本当に良かったと思います。
静かな聖林寺で九華のたたずまいを味わい、納経印をいただいてから山門を出ました。着いたときよりも日差しが傾き、陽光が濁りを増した分、余計にぬくもりを感じるようです。門前の花々は変わらず美しく咲いています。駅に向かって歩きながら、「大界外相」を掲げる場所はもう少し市街地寄りでいいかもしれない、などと考えました。
(写真帖5 終わり)
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