国鉄バス資料室

厚岸線・釧根線関係著作
− あの助役さんはいま −
平成3年1月20日原作発表、平成28年4月10日修正版公開

あんみつ坊主

これは某労働組合某支部機関誌「みんなの広場」第241号(H3.1.20)に掲載された文章を一部修正したものです。
(原題: 思い出の正月/〜あの国鉄助役さんはいま〜)

 私は正月号の記事を年末の話題でごまかす悪者である・・・
 国鉄分割民営化を3ヶ月後にひかえた昭和61年末、私は北海道の国鉄線と国鉄バスを乗り歩くため、ワイド周遊券を手に仙台駅を出発した(当時、私は仙台に住んでいた)。青函連絡船で吹雪の津軽海峡を渡り、日高地方から襟裳を経由して十勝に回った後、さらに国鉄最東端の根室まで足を延ばした。静岡育ちの私には着地した雪が融けずに舞っていくのが面白かったが、氷結した路面には参った。だが、そんな寒さでも列車はほぼ時間通り走っており、地域の人々の生活を支えていた。凍てつく駅構内で業務に従事する国鉄職員の姿は、マスコミが伝える「たるみ国鉄」と異なるものであった。私は少なからぬ感動を憶えた。
 その旅の4日目、私は道東の国鉄バス釧根線、厚岸(あっけし)線を乗り終えて、根室本線厚岸駅に着いた。途中の車窓は、なだらかに波打つ雪の丘陵が夕日に照らされて一面橙色に輝き、非常に印象的であった。
 厚岸駅前には国鉄バスの営業所があり、二階の事務所に明かりがついていた。二階へ上がる階段の壁に「きっぷ売場」と表示されていたので、コレクション用の乗車券でも買っておこうと中に入った。窓口に出てきたのは初老の職員であった。
 私が乗車券に関心を持っていることを伝えると、標準様式と異なる薄い紙を使った回数券が残っていると、その職員は教えてくれた。以前、経費節減のため様式を簡略化して作った、北海道独自の回数券ということであった。私は迷わずそれを購入した。
 増収に貢献したからというわけでもないだろうが、その職員は親切であった。彼は実は助役さんで、この厚岸自動車営業所が管理職2人、運転士5人の計7人で、5台のバスを走らせて過疎地の足を守っていることを教えてくれた。事務員や整備士はおらず、経理も車両整備も助役さんが一人でこなすとのことだった。あの大きなバスを一人で整備するとは大変なことだ。しかも、運転士が年休を取ると、代わりにバスの運転もするという。「大型二種免許と一級自動車整備士の資格を持っていますから」という言葉が誇らしげだった。
 運行基地としての業務の中枢をこの助役さんが担っているらしいことはわかった。だが、先ほど聞いた人員構成では代わりを務める人がいるように思えない。ということは、この人がいないと営業所が機能しないのか。そんな趣旨の問いかけをしたところ、「だから休みが取れなくてね」と答え、複雑な笑みを浮かべた。
 で、ここで初めて正月の話になるのだが、どうするのか尋ねたら、家族のいる札幌まで帰る時間的余裕がないので一人宿舎で過ごすという。これを聞いて、国鉄当局がおしすすめる合理化とは一体何なのだろうと疑問に思った。輸送の第一線で奮闘している職員に理不尽な生活をさせておいて、合理化が成功したと言えるのだろうか。
 それから3ヶ月後、国鉄は分割民営化された。あの助役さんはどうしているだろう。正月になると思い出す。

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