もう10年以上前のことですが、清水寺に詣でた折、山門の脇で小さな柱石を見つけました。墓石の縮小版のような角柱をよく見ると、「地理寮」という文字が刻んであります。もしや明治時代初期のものかと、ときめきました。やはりそうでした。そばに建つ看板に、「明治8年に設置された基準点の標石」である旨の説明が書かれています。目に留まったのは、この下に測量の基準となる標石が埋められていることを示す表示柱石のようです。
「地理寮」とは明治初期の官庁組織の一つである内務省地理寮のことです。「寮」という文字が付いていても、寄宿舎の類いではありません。政府機関の呼称として、「省」の一段下の組織に使われました。地理寮の他に、例えば大蔵省の造幣寮や工部省の鉱山寮などがありました。
これらの「寮」は明治10年に改組されて、その後「局」という単位になります(現在の地理関係業務機関は国土地理院)。以後、「寮」は一升瓶が転がった乱雑な住処を象徴する文字となっているので、官庁の名称と言われると違和感を抱く人の方が多いかもしれません。
京都の歴史軸尺度では百数十年前なんてつい最近だよと言われそうですが、官庁組織名の表記は改変に伴って書き換えられるのが常ですから、さすがに明治初期の名称は文献でしかお目にかかれないと思っていました。石に彫り込まれた文字は、何と言っても存在感が違います。
清水寺の方がずっと古くて由緒もあるのですけれど、「地理寮」に歴史浪漫を感じてしまう庵主でした。
(写真帖1 終わり)
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