令和2(2020)年8月24日作成 令和3年7月4日最終更新 ← 紅茶缶 トワイニング「オレンジペコー」 95g 平成10(1998)年頃入手 |
我が家の朝食は、私のこだわりで毎朝茶葉を使ってポットで紅茶を淹れています。学生時代から30年以上続けている習慣です。もっとも、学生の時は紅茶用のポットなど持てず、番茶と共用の急須ではありましたけれど。 紅茶に目覚めたのは大学1年のときの体験がきっかけでした。確か秋だったと思いますが、教養部でドイツ語を担当されていたK先生の研究室へ友人数人と遊びに行ったときに出していただいた紅茶が(当時の私には)あまりに美味しかったからです。 K助教授(今の准教授)は教養部でも一、二を争う厳格なドイツ語教官として有名でした。実際に受講してみると、確かに要求される水準が高くついて行くのは大変でしたが、学生への接し方はかなり気さくで、和気藹々と地獄のような講義を進めていかれました。 講義の前日に長時間の予習を繰り返す厳しさにも多少慣れてきた頃、ひょんなことから先生の研究室にお邪魔することになったのです。初めは課題の話などしていたと思いますが、途中から完全に雑談に変わり、「お茶出すからゆっくりしていきなよ」という先生のお言葉に甘えて外が暗くなるまで長居をしてしまいました。 そのときの美味しい紅茶が、トワイニングのビンテージダージリンでした。トワイニング紅茶は大学生協でも何種類か売っていたのでもちろん知ってはいましたが、金色の缶は見たことがありませんでした。上品な甘い芳香が印象的で、後で同行の友人とも話題に上りました。少し育ちの良い友人からやや大げさにこの紅茶の素性を教わり、憧れと妄想を膨らませることになったわけです。 大学二年になるときに賄い付きの下宿を出て安アパートに移り、毎朝自分で紅茶を淹れてトーストをかじる生活が始まりました。ビンテージダージリンはさすがに手が出ませんでしたが、貧乏学生には贅沢かと迷いつつも、普及価格帯の紅茶をいろいろと試しました。で、最終的に一番馴染むと感じたのが、トワイニングではオレンジペコーでした。 鮮やかな橙色の缶は美しく、使った後も捨てず他の缶と共に部屋に飾っていました。就職で引っ越すとき全て処分してしまったことを今は後悔しています。今手元に有るのは平成10年頃に買い直した缶です。 平成の半ばかと思いますが、トワイニングは紅茶缶の形状と表面塗装方式を変更しました。ビンテージダージリンを自分で買って飲むことができたのは、缶の体裁が変わった後でした。K先生の研究室でいただいたときほど美味しく感じなくて、同じビンテージダージリンの名が付いていても先生のところにあった缶とは別物かという疑問を抱くほどでした。想い出は美しすぎるのかもしれません。なので、未だに「K先生のビンテージダージリン」は憧れのままです。 オレンジペコーなど旧型のトワイニング紅茶の缶は、私にとって学生時代の想い出に繋がる個人的文化財の一つとなっています。それをひとは我楽多と呼びます。 (我楽多箱1 終わり) |
[観林庵日記巻頭] |
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