序 国鉄バスについて
平成14(2002)年9月19日開設、平成31(2019)年4月15日最終更新

その1 国鉄バスとは
 国鉄バスとは公共企業体・日本国有鉄道が運営していた旅客自動車事業、またはその事業によって走らせていたバスのことを言う。
 国鉄の自動車事業は昭和5(1930)年12月20日の岡崎−多治見間および瀬戸記念橋−高蔵寺間開業に始まり、順次国内各地に路線を延ばしていった。その目的は (1)鉄道予定線の先行、 (2)鉄道線の代行、 (3)短絡、 (4)培養 の4つのいずれかとされ(4原則)[1]、これを大義名分として、競合する他の事業者の反対を押し切り、利用者や沿線自治体の期待に応える形で路線開設を進めた。後に、(5)鉄道線の補完という役割も担うようになって、関門急行線や東名・名神高速線など国鉄鉄道線に並行して走る中・長距離路線も開設された。一方で、公社化され独立採算を求められた日本国有鉄道にとって過疎地に張り巡らされた不採算路線が経営上の問題となり、地元との調整を図りながら少しずつ廃止が進められた。 
 国鉄自動車は国有鉄道による全国輸送網の一部として機能し、相応の評価を受けてきた。途中の主要な町に設置された「駅」では鉄道線各駅まで通しで切符を買うことができ、また全国各地へ小荷物を送ることもできた。たとえ線路はなくとも線路がつながっているような安心感があったことだろう。 
 そうした国鉄バスの象徴が、動輪マークとつばめマークである。動輪マークは言うまでもなく蒸気機関車の動輪をかたどったもので、国鉄全体で象徴として使われており、国鉄バスでは創業以来車両の前面に掲げている。つばめマークは日本国有鉄道が公共企業体として出発した直後の昭和25(1950)年に決定され、翌昭和26年4月から使われている[1]。つばめの飛ぶ姿が描かれているが、背後の円形はこれも蒸気機関車の動輪である。
バス車体前面の動輪マーク 
昭和63年1月3日
バス車体側面のつばめマーク 
昭和62年3月29日
停留所標識に描かれたつばめ 
石狩線新十津川役場前 
昭和61年12月29日
 さて、多くの不採算路線や政治介入の問題をかかえながらも昭和55年に開業50周年を迎えた国鉄バスであったが、次第に国鉄全体の累積赤字が問題となってきたため、従来のままでは済まされなくなった。赤字の原因は労働争議ばかりやる無愛想な国鉄職員の所為だと世論は叩いたが、末端の職員ばかりに責任があるとは思えない。
 それよりも、東海道新幹線建設に対する負担(これは政府の無理解による)と政治的な運賃抑制により資金繰りが厳しくなったことで主要路線の適切な設備投資が遅れ、その結果他の交通機関に対し次第に競争力を失っていったことが国鉄赤字の最大の要因といえる[2]。これに、利用しやすいダイヤを提供しなかった経営過誤が重なって国鉄離れを加速させ、巨大な赤字を生むまでになってしまった。 
 結局、国鉄は分割民営化されることになり、昭和62(1987)年4月1日、累積赤字を新会社から切り離して再出発した。同時に自動車事業も地域分割された旅客鉄道各社に引き継がれた。そのうち本州3社(東日本、東海、西日本)のバス事業部は翌昭和63年、当初の計画通り分離・独立した(*注)。その後、北海道、四国および九州も自動車部門を独立させた。
   
その2 国鉄バスの魅力(管理者私見)
 国鉄バスの魅力の一つは、バスらしからぬところである。 
 第一に、バスターミナルや町中の出札所を「駅」と称している。そこで発売している乗車券は、上質な板紙に印刷された鉄道の乗車券と同じもの、だったりする。発車時に放送をする「駅」もあった。曰く、「×番乗り場から各駅停車の○○ゆき発車しま〜す」。そして鉄道駅と同じように、ベルが鳴り終わったら、警音器をならして駅を離れる。まさしく鉄道の流儀である。
 文章で説明しても表面的にしか理解してもらえないかもしれないが、何しろ「鉄道」を感じさせるのである。身体はバスだが、精神は鉄道なんだろうと思う。だから、鉄道愛好者、特に国鉄愛好者がこの国鉄バスの波動を受信すると、「こんな形態の鉄道(!)があったのか」という驚愕とともに、飛躍的な趣味対象の広がりを実感することになる。
 もう一つの魅力は国鉄バスの質の高さである。国鉄バスは多分に政治的な理由から過疎地の路線を多く抱えていたが、どんな過疎路線でも車両の整備その他の安全に係わる部分は必要以上の水準を維持していた。また、ハインリッヒの法則に基づいた「ヒヤリ・ハット運動」や、防衛運転の指示など、運転者教育も徹底していた[3]。 
 それもあってか、国鉄バスの運転士は全般的に運転が丁寧だった。エンジン音を聞いていなければいつシフトチェンジしたのかわからないくらい自然な加速にたびたび感心したものだ。昔ながらの狭いくねくね道を滑らかなハンドルさばきで進んでゆくつばめマークのバスは、とても頼もしく見えた。安全で滑らかな運転はバス利用者にとって最高の接遇だろう。
 けれど、そうした魅力は合理化や民営化という呪文に弱いのか、最近のつばめマークからはほとんど感じられなくなってしまった。そこで、せめて名残だけでも伝えたいとの思いからこの資料室を開設し、国鉄バスの乗車券類と文書、写真などを展示することにした。 
[合掌]
(*注)
 運輸白書(昭和63)によれば、分離後のジェイアールバス各社には「早期に安定的な経営基盤を確立」し、「地域に密着したバス会社としてその役割を果たしていく」ことが期待されていたようだが、その二項目が両立されたかどうかは一般路線がほとんど消滅してしまった現状により素人目にも明らかである。
[文献] 
[1] 『国鉄自動車50年史』、日本国有鉄道自動車局 (昭55) 
[2] 高木文雄:『国鉄ざっくばらん』、東洋経済新報社 (昭52) 
[3] (座談会)「安全運転のコツ教えます」、コンコース第77号 (昭59-9)、鉄道と未来をつくる会、pp. 6-15
(文責:あんみつ坊主)
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