列車編成記録 【気動車列車 Nr.33】 |
調査日 昭和62(1987)年3月14日 |
東海道本線9424D〜二俣線9633D「二俣線さよなら一周号」 |
↑ 掛川 |
↓ | キハ20 510 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | 日本車輌S39 | (豊橋→掛川→豊橋) |
↓ | キハ20 511 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | 日本車輌S39 | (豊橋→掛川→豊橋) |
↓ | キハ20 416 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | 帝国車輌S36 | (遠江二俣→豊橋) |
↓ | キハ20 475 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | 日本車輌S37 | (遠江二俣→豊橋) |
↓ | キハ20 283 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | (銘板滅失) | (遠江二俣→豊橋) |
↓ | キハ20 330 |
[自] |
非 | 赤 | [静マタ] | 日本車輌S35 | (遠江二俣→豊橋) |
↓ 豊橋 |
国鉄の第二次廃止対象路線だった二俣線が最後となる日、この地区では希有な一周経路の特別列車「二俣線さよなら一周号」が運転された。
通常は気動車列車が走らない東海道本線新所原−浜松−掛川間の運転時分をどのように算出したのか不明だが、よくダイヤ設定してくれたと思う。特別運転の粋な計らいで、磐田−袋井間だったか袋井−掛川間だったか忘れたが長い直線区間において2両編成のキハ20を全力疾走させた。それでも最高速度の95km/hにはわずかに達しなかったようである。
遠江二俣からはキハ20を4両増結して6両編成となり豊橋まで走った。 |
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